横浜FCと競馬を愛する男の日記

横浜FC、首位に快勝!

城のこと

 では、いよいよ引退する城のことを。

 私は城が入団した03年から、ずっと見てきた。最初は、「こんな実績のある選手がJ2でやる?
本当に、一所懸命やってくれるのだろうか…」と不安のほうが大きかった。実際、初期の城のコメントは
「J1で戻るためのアピールの場」を意味するものが結構、あったと記憶している。

 プレー振りもそうだった。今までのチームに比べてレベルが低く、城のプレーについていけない
チームメイトや、審判のジャッジに苛立つ姿が目立った。ぶっちゃけた話、「最後は精神的にキレて
しまい、プレーを投げ出してしまった」試合もあった。見ていて、不安になった。

 しかし、いつの頃からだろう。城は変わっていた。後輩に厳しくも暖かく指導する姿や、チームの
ために献身的なプレーをする場面を多く見るようになってきた。昔は、「自分がJ1へ行ければ…」
だったのが、「チームでJ1へ行きたい」と言うようになっていた。

 でも、チームを城一人だけで支えるのは難しかった。城の責任感は時に、大きな重圧に変わっていた。
城の負担は大きかった。プレーでも、精神面でもチームを引っ張る姿は痛々しく見えることもあった。
このままでは…城は潰れてしまうのではないか、と思ったこともある。

 昨年夏。その状況を大きく変える出来事があった。そう、カズと山口、2人の戦友が加入したのだ。
カズのおかげで精神面、山口のおかげでプレー面、両面で城の負担は軽減した。昨年は、チームとして
結果こそ出なかったが、城にとっては、ようやく力を発揮できる環境が整ったのだ。

 そして今年。多分、城の中で覚悟と決意が生まれた理由は、「今年こそがラストチャンスなのだ」
という手応えを感じたからだと思う。確かに、クラブは博打を打って戦力を補強した。反面、失敗すれば
数年は、貧乏暮らしを余儀なくされるような状況下でもあったはずだ。だからこそ、城は引退の
二文字を胸に秘め、「結果に拘るプレー」に徹し続けたのだと私は推測している。

 城も、クラブも、賭けに勝った。J2優勝とJ1昇格と言う「最高の結果」を得たのだ。城の偉大な
キャリアの最終章として、一般的な評価はどうなのか?私にはわからない。それだけ、城の経歴は
華々しいものだからだ。でも、私にとっては「サッカー選手・城」=横浜FCの伝説、となった。

 10年、20年、30年後の横浜FCはどうなっているのか想像もつかないが、少なくともクラブの
「歴史上、初の快挙」を成し遂げた中心選手として、永遠に記録と記憶に刻まれたのだ。我々、サポは
彼のことを語り継ぐ義務がある。

 いつの日か、サッカー指導者としての「第二幕」を横浜FCで見せてくれ。待っている。
また三ツ沢で会おう、城彰二