横浜FCと競馬を愛する男の日記

横浜FC、GWは連勝したい

敗軍の将、兵を語る

 という連載があるのをご存知だろうか。職場にある日経ビジネスという雑誌を見ていて、最近気が
ついた。そこには「事がうまくいかなかった」様々な業界の人達が、その理由を自己分析している。
09年1月12日号に載ったのが「前横浜FC監督」の都並さん。

 この記事をジックリ読んだのだが、印象に残った部分をちょっと書く。詳しく読みたい方はバック
ナンバーを探してみてください。(コピーなら私も持ってはいるのですが)では、以下に。ちなみに
記事のサブタイトルは「成績不振、スポンサー見放す」だ。

  屬笋辰僂蠏覯未悪すぎた」
 冒頭の言葉である。3年の契約で監督を引き受け、昇格と土台作りというふたつの命題を受けた都並
さんだが、「どちらかの目標は達成しておかねば」と考えていたとのこと。しかし、結果として二桁
順位の10位と低迷し、8月30日には小野寺会長から「順位が低すぎる。このままではスポンサーが
黙っていなくなるので危険」と言われたらしい。

 このあたりはサポの気持ちと一緒だと思う。「あの戦力で10位はないよなあ」と。では何故ここまで
順位が落ちてしまったのか?都並さんは語る。

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 第一クールは守備の構築を主眼とし、結果として6位。ある程度結果が出た。そこで第二クールから
若手を起用しはじめた。ところが…「失敗を恐れて伸び伸び戦うことができなくなっていた」という。
「失敗したらすぐに落とされる、起用されなくなる」と若手が萎縮した、とのこと。

 都並さんは仙台時代からの経験で、「ベテランが若手をうまく導いてくれるはず」と考えていたが、
横浜ではそうはいかなかったことに驚いたらしい。ところが「仙台と横浜ではチーム事情が違った」
ことに気づくのが遅かった。仙台は土台がある程度できていたチームだったが、横浜は前年から大きく
メンバーが替わっており、ベテランにも若手を導く余裕もないし、風土も醸成されていなかったのだ。

 これは、私個人としてはちょっと残念だった。小山、アツ、ヤマタク、そしてカズと経験豊富な
ベテランが大勢いても、その経験がチームにうまく還元できていなかったからだ。この事実が、昨年の
ベテラン解雇につながったのではないか?とも思える。これは今年、絶対に繰り返してはならない。

 「10月から好調、遅すぎた」
 きっかけとなったのは、10月にガイナーレ鳥取との練習試合に敗れたことだったという。この時期
になって、未だに萎縮してプレーする選手が多い。そこで「もっと伸び伸びと自分の良さを出そう。
後は選手で話し合ってくれ」と呼びかけたところ、そこからチームは良くなったらしい。

 都並さんは「10月まで選手間のコミュニケーションが十分でなかった」と語る。これはとても
哀しいことだ。カズ、アツ、ヤマタクなど、選手を引っ張る力量を持つ人たちが複数いたのに、この
状況は何故なのだろう?と。我々は、彼らのキャプテンシーを過大評価していたのだろうか…

 結局、都並さんは「個と組織のバランスが取れるまでに時間をかけすぎた」ことを最大の反省点と
している。結果がもう少し良くて、この不景気?によるスポンサーの撤退がなければ、監督を続投
できたかも、とも。そして、選手達への提言として、こんな言葉を残した。

 ぁ崛手はプロ意識の向上を」
 「横浜はスポンサーの影響力がものすごく強い。何故なら観客数が少なく!入場料収入が少ないから」
と都並さん。痛いところを…orz そして、「今の君たちのプレーではお客を呼べないのだから、
スポンサーと共に歩め」としています。イベントなども積極的にしろ、ということでしょうかね。

 都並さんは常にスポンサーの大事さを選手に説いたそうですが、「スポンサーのほうを向いている」
と選手達に受け取られた部分もあったそうだ。しかし、解任決定後も言い続けることで、選手達の
受け止め方も変わったそうな。だとするならば、解任にも意味があるし、選手達の甘さを無くす、いい
教訓を与えてくれたとも言えそう。

 都並さんが「現役の頃は今ほど恵まれていなく、仕方なくサッカーを諦めた仲間も多かった。だから
今の若手は、その環境に安住することなく、もっと大きく育って欲しい。ゴルフの石川遼を見よ、
あんな選手はサッカー界の17歳にはいないだろう?」と指摘するのは正しいと思う。

 最後に都並さんは「監督にいつかまたなりたい」、とコメントしている。横浜での経験が果たして
彼に何をもたらしたのか?その「いつか」が来た時に、じっくりお手並みを拝見したい。そして、
樋口監督には、二の轍を踏まないよう選手達を導いて欲しいものだ。