枠順が出る前に?続きです。今年のトライアルから考えてみます。
変化しました。(正確に言うと、制限されることは一緒だけど、され方が変わった)他のJRA馬と同じ出走枠に
出走規定が変化したのは、ただ1度きり。1995年に(指定)になったことだけです。クラシックが(外)馬に開放
された時代には変化がなく、外国馬、所謂「外」馬に開放された2010年にも、規定に変化はありませんでした。
では何故、(外)馬への出走制限を変えた(事実上なくした)のは今年なのでしょう。2010~12年の3年間は
何だったのでしょう?私はこの3年間を「準備期間」と捉えますが、その前兆は「Jpn時代」の2007~09年に
あったのではないでしょうか。この3年間も準備期間(パートⅠ国化)だったわけですが・・・
では、直近3年間で何をしてきたのか?と振り返れば、そう、2歳~3歳路線の整備にあったと言えますよね。
ダービー終了翌週から夏季競馬を開始し、新馬戦を施行する。この完成に必要だった時間でしょう。遡って
事実を見れば、
2004年・・・桜花賞の(外)開放を持って、クラシック全て解放完了
そう、前回の(外)への開放(今回も一種の(外)開放といえる)は4年間をかけていたのです。ただし、この時は
アネモネS自体には変化はなかった。そう、(外)の出走が適わない競走のままだったのです。今回は、
異なります。(外)関係の変化でありながら、競走の看板変更という意味では、1995年と同じなのですね。
勿論、トライアルも全て京都代替となりました。本当の意味で変更初年度といえるのは、1996年では、と
私は考えます。で、その1995、1996年ですが
上記の2年間がチャンスだったのではないでしょうか。
じゃあ今年はチャンスがあるのか?となりますが・・・続きは後ほど。