横浜FCと競馬を愛する男の日記

横浜FC、GWは連勝したい

2013桜花賞・考(2)

 枠順が出る前に?続きです。今年のトライアルから考えてみます。
 
 スプリングSの記事でも書きましたが、今年からクラシックにおける外国産馬、所謂(外)馬の出走制限が
変化しました。(正確に言うと、制限されることは一緒だけど、され方が変わった)他のJRA馬と同じ出走枠に
入ったわけで、そのために桜花賞で言えば、アネモネS「のみ」が出走規定を無冠→(混合)に変えています。
チューリップ賞フィリーズレビューは(国際)のままです)
 
 アネモネSはトライアル3つの中で1つだけのオープン特別。桜花賞への優先出走権を設定されて以来、
出走規定が変化したのは、ただ1度きり。1995年に(指定)になったことだけです。クラシックが(外)馬に開放
された時代には変化がなく、外国馬、所謂「外」馬に開放された2010年にも、規定に変化はありませんでした。
 
 では何故、(外)馬への出走制限を変えた(事実上なくした)のは今年なのでしょう。2010~12年の3年間は
何だったのでしょう?私はこの3年間を「準備期間」と捉えますが、その前兆は「Jpn時代」の2007~09年に
あったのではないでしょうか。この3年間も準備期間(パートⅠ国化)だったわけですが・・・
 
 では、直近3年間で何をしてきたのか?と振り返れば、そう、2歳~3歳路線の整備にあったと言えますよね。
ダービー終了翌週から夏季競馬を開始し、新馬戦を施行する。この完成に必要だった時間でしょう。遡って
事実を見れば、
 
 2001年・・・古馬GⅠ(天皇賞がシンボル)は2000年に国際化済み、クラシックはこの年から(外)へ開放
 2004年・・・桜花賞の(外)開放を持って、クラシック全て解放完了
 
 そう、前回の(外)への開放(今回も一種の(外)開放といえる)は4年間をかけていたのです。ただし、この時は
アネモネS自体には変化はなかった。そう、(外)の出走が適わない競走のままだったのです。今回は、
異なります。(外)関係の変化でありながら、競走の看板変更という意味では、1995年と同じなのですね。
 
 では今年は1995年が参考になる?そうかもしれません。しかしこの年は、阪神大震災によって、桜花賞
勿論、トライアルも全て京都代替となりました。本当の意味で変更初年度といえるのは、1996年では、と
私は考えます。で、その1995、1996年ですが
 
 1995年:アネモネS2着馬が桜花賞1着+純粋ぞろ目
 1996年:アネモネS3着馬が桜花賞1着+馬連万馬券
 
 実に不思議な?結果を見せています。アネモネS敗退馬を桜花賞で勝たせていますが、決着性が・・・
アネモネS覇者は、一度も桜花賞で連対席に座ったことがないのですが本当ならば、があったとすれば、
上記の2年間がチャンスだったのではないでしょうか。
 
 じゃあ今年はチャンスがあるのか?となりますが・・・続きは後ほど。