横浜FCと競馬を愛する男の日記

横浜FC、GWは連勝したい

【第十一回】あれから3年

 あの震災から、今日で3年になった。世間ではもう、あまり話題になっておらず、3月11日が近づくと
思い出したように特集番組が組まれたりして。でも、人間の記憶は曖昧になっていくものだし、そうでなくては
辛すぎて・・・ということもある。自分も、今後忘れていくことが多いと思うので、3年前の記憶と、震災後の
3年を見てきての感想を書き留めておく。
 
 震災の瞬間は、職場の実験室にいた。大きく長いスパンで横に揺れたあの感覚は、今もハッキリ覚えている。
棚にあったシーラントの筒が全て倒れたっけ。とりあえず揺れが収まるまで何分かかったのか?やたら長く
感じた。揺れが止まり、すぐに外へ避難したが、意外に静かでそれがかえって不気味だった。
 
 建物が新しい(平成2年くらいに築?)せいか、被害もほとんどなかった。次に心配になったのは自宅。
携帯はまったく通じず、災害には無力!しかし、固定電話は意外とアッサリつながり一安心。大した被害は
なかった。しかし、職場のテレビを見に行くと映っていたのは千葉の工業地帯で起きた火災。ことの大きさが
徐々に伝わってきた。
 
 その後、自宅に帰るのは危険と判断し、職場に泊まることを決めてすぐに同僚とコンビニへ。ところが停電で
薄暗い。懐中電灯なしでは、商品もよく見えない。それでも色々と買い込んだ。(お酒もw)レジも停電で使用
できず、ハンディタイプのもので対応していたっけ。それでも早めに買いに行ったのがよかったようだ。
 
 その後は、テレビのあるフロアで色々な人たちと食事しながらも、テレビに釘付け。東北の惨状を知った。
職場は停電が無く(工業地帯だからか?)暖房も効いていたが、近くの民家は全て停電。当然、自宅も。
皆、ハイテンションでお酒を飲んでいたと記憶しているが、怖かったのだろうな・・・
 
 翌朝、電車が動いていると聞き帰宅。いつもは4分乗るところが30分以上。乗り換えるはずの電車は動いて
おらず、徒歩で45分。信号が消えており不気味かつ危険だった。帰宅すると、家族からガスは使用可能で
お湯をわかしたり調理したりは問題なかった、と聞く。当日は懐中電灯とラジオが活躍したそうだ。
 
 不安な土日を過ごし(何もできなかったような)、月曜、火曜は自転車で職場へ。一応、行ける距離なのだ。
しかし仕事に身は入らず。会社もそれどころではなかったような。帰りに色々な店に寄ったが、品薄、店じまい
ばかり。ガソリンスタンドには長い行列。首都圏の機能は麻痺しつつあった。
 
 そして、あの計画停電。我が家も数回食らった。しかもよりによって夕食時ばかり。懐中電灯の下での
食事は新鮮だったが、やはりいいものではない。戦時中もこんな感じだったのか?と最近、朝ドラを見て
思い出した。電力会社の人は大変だったと思うが、ある意味、自業自得。
 
 それでも首都圏はまだ何とかなっていた。問題は被災地。あまりの状況の酷さに、自分は何をしていいか
迷った。募金と2012年の福島遠征@サッカー、くらいしか直接的にはできなかったが、今でも多くの人が
避難生活を強いられていることを思うと、引き続きできることをせねば、と思う。
 
 福島第一原発の危機は、国民を震え上がらせた。政府、東電のお粗末な対応もあり、世界が日本の危機を
感じたと思う。結果オーライ的に最悪の事態は免れたが、放射性物質を大量に撒き散らした罪は消えない。
後世の人々には、どう思われるのだろう。今の日本人を見ていると、そういう罪や恥の意識は感じない。
 
 こんな酷い目にあわされても、頑張っている人が大勢いる。一方で、喉もと過ぎれば・・・のごとく、原発
再稼動に積極的な人も大勢いて、日本国民はそういう政権を選択した。まだ、事故の後検証も不十分なのに。
経済も確かに大切だけど、もっと大事にすべきものがあるのでは、と悲しくなる。
 
 「エネルギー問題は、闇の世界だ」という同僚がいる。本来ならば日本は、真っ先に火力や原子力以外の
発電に邁進すべき国。だって資源がないのだから。しかし、それをしない、させないチカラが働いている、とも。
国家100年、いや、数百年先まで考えれば、自前でエネルギーを確保するのが当然だ。しかし、それに
消極的な現実は、やはり何か深い闇を抱えている、としか思えない。
 
 震災の記憶は、第二次大戦同様、風化していく。数百年前に被災地であった大津波の伝承も、いつの間にか
途切れたと聞く。人は忘却しないと生きられないのかもしれないが、こうして同じ悲劇を繰り返すのか?
そうであってはならない、と思う。どんな記録もいつかは風化する。10万年保存可能な記録はないし、文字も
10万年後の人は読めないだろう。(数百年前の文字すら読めない)やはり、人から人へ、世代から世代へ、
つなげていくしかない。それが、真のキズナなのではないだろうか。