横浜FCと競馬を愛する男の日記

横浜FC、GWは連勝したい

植木等さんのこと

 お亡くなりになった。享年80歳。80歳ということは、1927年生まれということになるのかな?
第二次大戦終結時は、ちょうど青春真っ只中ということになる。

 そんな人が高度経済成長期に、あんな素晴らしい活動をしていたのは、ある意味凄いことだと思う。
「♪わかっちゃいるけど、止められない~」
「♪俺はこの世で一番、無責任と言われた男~」
「お呼びでない?」
「♪ハイ、それまでよ~」
「♪人生で大事なことは、タイミングにC調に無責任~」

 自分の父親も、近い年齢だからわかるのだが昭和ひとケタ生まれの先輩方は、「価値観が崩壊したが、
そのことを考える間もなく経済復興に粉骨砕身した」世代である。とにかく生き延び、少しづつ生活を
向上させることに一所懸命で、気がつけば「青春=自己を見つめる時期」は終わってしまったのでは
ないだろうか。

 私がこどもの頃を思い出しても、父親がよく語って聞かせてくれたのは「戦争の記憶」である。
自分の「青春時代の思い出」、「生きる価値観」などはほとんど話したことがない。働く後姿で、代弁
していたのかもしれないが、一方では「自分の価値観」を言葉にする術を持っていなかったのかも、と
今なら理解できるのだ。(注釈:父親は存命です)

 植木さんは、あのようなキャラを演じていたが本質は「責任男」で、ああいった歌を歌うことにも、
最初は凄く抵抗感があったのだと言う。それはやはり、自分と同世代の人間が懸命に働いていることの
尊さを、よく理解していたからなのだろう。

 それでも、植木さんはあえて演じた。そしてそれは時代の支持を受け、昭和の1ページとして偉大な
価値を持つに至ったのだ。あのキャラはもしかすると、働き詰めて経済的に豊かになり始めた時期に、
同世代の皆へ「新しい価値観」を問いかけたい、という植木さんの意思が反映していたんじゃないか?
それ故に、歌うことに踏み切ったのではないか?と私は推測してしまうのだ。

 現在においても、「経済至上」という価値観を持つ日本人は多い。老若男女を問わずだ。戦争後に
超特急で作業した「積み木」が意外に丈夫だった、ということなのか。そして平成のこの世に、植木さん
ほどの「時代の支持を受ける価値観の提案者」は現れるのだろうか?今の芸能人を見る限りじゃ、望みは
薄いかなあ…

 個人的には、「日本人の価値観を揺るがす大スターよ、出でよ!!」と思っているのだが。