横浜FCと競馬を愛する男の日記

横浜FC、GWは連勝したい

秋季(夏季)世代限定戦・考(3)

 明日はセントライト記念があるので、過去の菊花賞を検証します。何故菊花賞?となりますが、それは「今の」
菊花賞と昔の菊花賞とが変化している(一部分だけ取り上げます)事実を押さえることが、ステップ競走の
理解にもつながると考えるからです。
 
 菊花賞も時代と共に、色々な変更(進歩ともいえる)が行われていますが、ここでは斤量規定に触れます。
菊花賞定量戦で施行されて来ましたが、2003年に馬齢戦へ変更されました。春季クラシックは全て定量戦の
ままですから、これは大きな変化と見てよいでしょう。
 
 ちなみに「最後の定量戦・菊花賞覇者」はヒシミラクルで、彼が菊花賞天皇賞春→宝塚記念を「3連続万馬券」でぶっこ抜いていったのは、鮮烈な記憶です。宝塚記念が純粋ぞろ目だったのは、偶然でしょうか(笑)
では、定量戦時代と馬齢戦時代に分けて、菊花賞を検証してみます。
 
 まずは定量戦時代。菊花賞を勝利し、その後、天皇賞春も制覇した馬を挙げてみましょう(G制以後)。
 シンボリルドルフ(4歳)、ミホシンザン(5歳)、スーパークリーク(5歳)、メジロマックイーン(4、5歳)、
 ライスシャワー(4、6歳)、ビワハヤヒデ(4歳)、マヤノトップガン(5歳)、マンハッタンカフェ(4歳)、
 ヒシミラクル(4歳)
 
 19年間で、延べ11回の盾獲得。結果は番組の意図を反映しているのですね。彼らは2つのグループに
分類できます。
 
 B.遅れてきた青年(春季クラシック出走なし)・・・Sクリーク、メジロM、マヤノT、Mカフェ、ヒシミラクル
 
 Aタイプで重要なのは「東京優駿で負けていない」こと。ミホシンザンは出走していませんが、残り3頭は
東京優駿で勝利か連対しています。Bタイプはまさに、「夏季に何をしたか」が問われたグループでしょう。
彼らが出現した年の、東京優駿対馬を調べるのも、面白いでしょうか。
 
 これらの結果に対して、馬齢戦になった2003年以降はどうなっているのか?次回に続きます。