横浜FCと競馬を愛する男の日記

横浜FC、GWは連勝したい

2015天皇賞春・考

 世代戦の勉強で手一杯状態!のここ2年ほどなので、あまり自信はないのですが、よければご一読を。

 3連覇を目指したフェノーメノが登録しながら回避。TVのウマイハナシでもテーマは「3連覇」でしたし、当日の
プレゼンターも「三」上博史氏なので、どうもキーワードはここにあるようですが、フェノーメノは不在です。何故、
不在にしたのか?といえば多分、他に勝たせたい馬がいるから!になるでしょうか。

 ウマイハナシでは、テイエムオペラオーを挙げて「唯一の天皇賞3連覇達成」と紹介していました。仰るとおり。
対して、皆様の記憶に残っているのはメジロマックイーンでしょう。4歳時の天皇賞秋では1位入線18着降着
6歳時の天皇賞春では2着に敗れました。そう、「天皇賞3連覇」を異なる2つの形(でも、ある意味同じ意図あり)
で拒否された馬です。

 フェノーメノは登録+回避、という「第三の型」で3連覇を拒否された馬です。出馬表に載れなかったわけで・・・
では、フェノーメノの2度の勝利を簡単に振り返ってみます。

 13年天皇賞春では、3歳時にセントライト記念56kg1着、天皇賞秋56kg2着。4歳春季に日経賞56kg1着と
とにかく3歳天皇賞斤量をアピールしていました。対して14年天皇賞春では、過去1年間に58kg戦を2走だけ。
そして馬券対象外のみという、13年時とは・・・(伏せます)という履歴を持って連覇を果たしたのでした。

 そんな彼が、15年に持ち込もうとした履歴は何だったのでしょうか?それを理解することが、今年の1着馬を
検証するのには有効だ、と私的には仮説を立てています。彼の4走をよく考えたいところです。

 93年、天皇賞春3連覇を目指したメジロマックイーンが持ち込んだ、過去1年以内の履歴はたった1走。
大阪杯1着(2kg増)でした。そして3連覇を阻んだライスシャワーの前走は日経賞1着(2kg増)だったのです。

 また、91年天皇賞秋で、春秋連覇を目指した時には京都大賞典1着からでしたが、阻んだプレクラスニー
前走は毎日王冠1着だったのです。いずれもマックイーンは出走していた。15年フェノーメノは出走していない。ここの部分の扱い方の違いが重要と見ます。結論的には、

 ◎アドマイヤデウス ○フェイムゲーム としておきます。